片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

昔話

江戸時代のトイレからウォシュレットへ

今や、ぼったんトイレというのは見なくなって久しい。ぼったんトイレとは?汲み取り式お便所のことで、私が小学校ぐらいまでバキュームカーなるものが巡回してたまった肥を汲み取る地域があった。トイレもスリッパたいな形のデザインでしゃがんで用を足すタ…

6月の小学生通学路にて

雨季の6月、小学生頃は通学路の住宅街を歩いて帰宅する。住宅街の一軒家のお庭にはアジサイが満開で葉っぱにカタツムリも乗っていて、絵になる構図を作っていた。日本の雨季にふさわしい花。 アスファルトの凹みに水たまりができて、少し晴れ上がるとその水…

グレイハウンド

初めてバックパッカーで一人旅をしたのはアメリカのグレイハウンドというバスの一か月期限付きパスを買った時。一か月乗り放題だった。 その時はロンリープラネットという地球の歩き方みたいなガイドブックを持って行った。バックパッカーではなくて、アメリ…

しおっぴき

体のことを考えて週に1回はお魚を食すように心がけている。できれば青魚できれば鮭、サーモンを食べたい。鮭とサーモンは希少で取りにくい栄養素を持っている。スーパーに行ってお魚を物色してみると鮭が安い。それというのもチリ産の養殖ものだから。できる…

南フランス城壁のある小さな村

南フランスにセギュレという城壁のある小さな村に一か月ほど滞在したことがある。そこにはドイツから移住したオーナーがアトリエや工房を兼ねた宿を経営しており、大変よくして頂いた。 オーナーさんはアーティストを集めて、明るく優しく楽しく、クロッキー…

思い出を服に変える

今日は、おばあちゃんが繭から糸を撚って、織機で織った結城紬の反物で作ったワンピースを着て電車に乗ってヨガスタジオへ出かけた。お祖母ちゃんが亡くなったのはもう50年近く前だけれど、まだ私も耳にはお祖母ちゃんの声やお祖母ちゃんの匂いの記憶がしっ…

お絵描き少女

お絵描き上手な小学生だった私。休み時間、みんなが紙をもって集まってきた。人気漫画のまねをしてバレリーナの絵とかバレーボールの選手の絵とかを描くとすごく喜んでくれたのが嬉しくて描きまくったものだ。 幼稚園ぐらいのときはディズニーのバンビを上手…

赤ちゃんの記憶

子供の頃から子守をするのが好きだった。特に小学生ぐらいの頃は近くに赤ちゃんがいっぱい生まれていたので、ご近所の若いお母さん達に私は信頼感のおける助っ人小学生として頻繫に近所の赤ちゃんや幼児とお散歩したりしたものだ。赤ちゃんも何かアウトプッ…

500年前のリネンのブラウス

プラスティック、現代人の消費癖が作り出してしまった問題だろう。供給する側である企業がストローを止めるとかレジ袋の有料化とかに励むだけで追いつかないのではなかろうか。旅で知り合ったドイツ人の女性はプラスティックが大嫌い。神経質なほどプラステ…

ポール・セザンヌへの道

芸術高校時代の恩師、特に美術科の美術教諭達は個性が溢れすぎて、ぶつかり合ってしまうような先生方が何人も居らした。あの頃は学校の予算がたっぷりあったので、生徒10人の油彩科には2人から4人の美術教員が就いた。この学校は美術大学への進学校でも…

思い出のメロディー

ある音楽を聴くとそれを聞いていたころの情景が浮かんでくる。あの頃、あれほどショパンを聞いたことは今までなかった。母を車椅子に乗せて病院に行くとき、散歩のときショパンを流しながら車いすを押していた。ショパンを流しながら車いすを押すと、私の気…

花街

曳舟という慣れない駅を降りて目的の展覧会へ向かう。ここら辺は花街、向島と言う方が土地のイメージがピーンと来るかもしれない。料亭が点在している。料亭は看板など出さずに表札のような店名のみの行燈。ひとけもなく、ひっそりとした午後、突然近くの小…

フォーン・ブース2

ニューヨークで暮らし始めた30年前はインターネットどころかパーソナルコンピューターもなく、携帯電話もビジネスマンが持つようなごっついショルダーバック型。初めて住んだアパートは半地下の安い部屋を見つけて電話も引けなかった。電話はもっぱら公衆電…

火鉢と鉄瓶

昔祖父が玄関先小部屋の火鉢の横にいつも座っていたように思う。その火鉢の上には鉄瓶がいつも静かな湯気を上げていた。玄関先の小部屋はお客さんがいつ来てもお茶でもてなす事ができるよう、湯呑や急須や茶葉が入った丸い塗の箱が置いてあり、小さな駄菓子…

収集癖

収集癖という言葉はネガティブなに聞こえるけれどコレクターといえば何か成し遂げている感じがする。誰しも何かを集めることに夢中になる時期や、もしくはずっと夢中に集め続ける。子供のころは駄菓子屋で買ったちいさな折り紙を集めていた。千代紙のような…

乙女の懸念

高田馬場に早稲田松竹という名画座があって学生時代よく一人で見に行った。早稲田松竹は清潔感ある映画館で歴史もあるし映画作品のキュレーションにもセンスがある。2本3本立てのプログラムで一日を費やす。場所柄、学生さんや時間つぶしの人やら、映画マニ…

傷だらけの天使

傷だらけの天使というドラマが見たくて、近所に住む従妹のお姉さんの家のTVで見せてもらった。なぜって、そのころ小学生高学年ぐらいで内容にヌードシーンも多く両親の前で見せてとも言いにくく。あの頃ショーケンお兄さんはかっこよかった。王子様的なルッ…

明治生まれ祖母の日常

祖母の時代の暮らしはどんな一日だったか考えることがある。母の実家は結城紬の織元が家業だったので家事のほかにも糸を紡いだり機織りをしたり日々過密スケジュールだったに違いない。私が子供の頃の母の実家には、まだ台所が広い土間になっていて炊事用の…

お琴のお師匠さん

小学三年生ぐらいの頃だったか、学校の帰り道の途中お琴の教室があって、琴の音を聞きながら帰った。シンプルで綺麗な音に興味をそそられてお琴を習わせてもらえるよう母にお願いした。週に1回お稽古をつけてもらうことにした。近所のお友達のみっちゃんも一…

時間表

私の今までの人生に登場していた人物が一人、また一人と逝ってしまう。身近な人が亡くなった時、亡き父は、順繰りだ、とつぶやいていたっけ。年齢が高い人から順番に亡くなっていくんだという意味。去年母が亡くなったころ、小学校高学年の頃お世話になった…

夕方のおつかい

日が落ちるのが早くなった。16時ごろになると急ぐ理由もないのに気が急く。17時スーパーにて買い物をする。やや混みはじめているのでカートで買い物をするも商品棚や冷蔵棚の前で思案しながら立ち止まるのが憚られる。そんなことで商品をさっさと取ってレジ…

G線上のスケッチ

ブルックリンのグリーンポイントというところに住んでいたことがある。ポーランドの移民が多く、駅の周りはちょっとしたポーリッシュの商店街。ポーランド語が町にあふれている。 大きな肉屋には肉の塊や、バラエティーに富んだソーセージ、ハムやパティお惣…

バッケ=ふきのとう

子供の頃文通にあこがれて子供向けの新聞でペンパルを募集したことがある。そこで東北に住む女の子と文通することになった。とても文章の上手な女の子で確か秋田の子だったような。私は雪国にあこがれて、いつかカマクラの中でお餅を焼いて食べてみたい夢が…

お人形遊び

リカちゃん人形が私の小学校時代にはポピュラーなおもちゃでお友達の家に遊びに行く時は自分のリカちゃん人形とお洋服など持参していった。リカちゃん廻りのアイテムは着せ替えのお洋服、靴、そしてリカちゃんハウス。遊びに行くお友達の家にはリカちゃんハ…

思い出を共有できる事

たしか父は左手の親指と人差し指が無かった。欠損していた。私が生まれたときから彼はその状態だったので不自然もなく私にとっては健常人であった。 先日母の姉である伯母が, ゆうちゃんは弱音こそ吐かなかったけど大変だったろうと思うよ。。と父の思い出話…

そして誰もいなくなった

ニュースで山手線が自動運転を初めて運行させたと言っていた。自動運転なので全く無人なのかと思いきや、まだ運転手は自動運転の開始ボタンを押すために乗車しているようだ。これからの人手不足や人口減少のため、各業界は自動化を進めている。最近はセルフ…

おじいちゃんと話す。

母方の祖父は新し物好きで、人を喜ばせたり驚かせたりするのが好きな人だった。手先も器用で竹細工やちょっとした木工細工や、植木の苗を育てたり、家庭菜園で自給自足したり。結城紬の織元をしていたので柄の設計や染色前の下処理など工法の工夫を発明した…

ダイバ・ダッタの魂宿し♬

10月の坐禅に行った。 朝6時から3炷(さんちゅう・3回)全て行ったあと般若心経を皆で唱える。最後の方で阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼうだい)というくだりがある。なぜかここで一気に元気と自信が湧いてくる。とてもなじみ深い一節なの…

寡黙に歩く父の話。

父は歩くのが好きだった。住まいの沿線上にある駅から、ちょっと面白い建物や地元の歴史ある遺跡などを繋いでルートを作り、ひたすら歩く。特に有名だったり話題だったりするわけでないところが大きなポイント。住宅街をかき分けて、公園を通り過ぎ、畑道か…

先輩たちの展覧会。

先日、高校時代の一学年上の先輩の展覧会に行ってきた。 都立芸術高校、もう10年ぐらい前に廃校になってしまった、幻のような、山の分校のような、高校。一学年美術科と音楽科の2クラス、クラス40名ほど、一学年80名ほど。全校で240名ほど。小さくて贅沢な高…