片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

ポール・セザンヌへの道

芸術高校時代の恩師、特に美術科の美術教諭達は個性が溢れすぎて、ぶつかり合ってしまうような先生方が何人も居らした。あの頃は学校の予算がたっぷりあったので、生徒10人の油彩科には2人から4人の美術教員が就いた。この学校は美術大学への進学校でもあり、生徒は美術大学を目指す生徒しか入学しない。実技試験の傾向と対策は3年生ともなると現実的になってくる。

一人、孤高の、ロマンティックな先生が居らした。i先生は年のころ40代だったろうか?セザンヌを敬愛しており、その指導方法は小童どもの高校生にしてみれば、あまりに哲学的でもあり、求道的なものであった。i先生は即物的な表現や、小手先のテクニックに対して良い評価は与えなかった。もう一人の対照的な30代ぐらいの先生がいた。美術受験の予備校にも務めており、実技試験傾向と最新情報や合格基準を熟知していた。相容れない二人の指導方法は生徒にとって思えば贅沢な人生の選択肢の幅であったろう。生徒はどうしたって実利に傾いてしまう。大学合格が目的なのだ。受験が近ずく頃からi先生の指導が控えめになったように感じた。生徒の受験のためを思ったのか?i先生はいつか大人になれば理解する日が来るだろうと思っていらしのではないだろうか? 今思うのばあの捨てがたい、i先生のロマンチズムは永続する美しさであったと思う。一瞬の受験ではなく。

i先生はフランスに留学もしていたらしく、フランス語の発音が鮮やかだった。彼のフランス語で今も耳に残っているのはマチエール(質感)。今の私はあの時の先生に会って話したいな。ピウプより。