片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

昔話

お魚屋さんの子供

小学4年生の頃の同級生でお魚屋さんの子がいた。 当時は鮮魚店も街の商店街にいくつもあり、その子のお店は商店街の中でも大きなお店で繁盛していた。 ご両親はいつも店頭に立って忙しく働いていらした。 学校のお母さんについて作文を書く課題でその子の秀…

アフタヌーンティーじゃなくておやつ

おやつは一日の中で重要な楽しみの一つだ。 おやつに何を食べるか考えるだけで希望が湧いてくる。 アフタヌーンティーなんて気取ったものはおやつではない。 庶民的で気さくで簡単で素朴なのが最高峰のおやつだ。 焼き芋は一年を通じて食べることのできるお…

お酒のたしなみ

亡き父はお酒が大好きだった。 子供の頃私は酔っぱらった父が嫌いだった。 気分よく酔っぱらって帰ってくると子供たちを起こして焼き鳥のお土産やお寿司のお土産を食べさせるのが酔っ払いルーティン。 昭和の酔っ払い親父のよくある構図だ。 お寿司は海苔の…

赤いライダーズジャケット

18歳の時に車の免許を取った。 あの頃の教習所ではマニュアルの車しかなかった。 車の運転がしたかった訳でもなく、自動車が好きだった訳でもなく、友人に誘われただけで教習所に通うことにしただけだった。 車には全く興味もなく、車が動く原理も知らなけれ…

父の兄

親戚の中に変わり者扱いされていた伯父さんがいた。 兄弟達はウンザリしながらも何かと伯父さんの心配をして目をかけていた。 伯父さんは子供が大好きで一緒に遊んだり、子供のためにお菓子を買ったり、花火を買ったり、いつも子供を喜ばせようとしていた。 …

古代への情熱

高校時代、美術史の授業で夏休みの課題でシュリーマンという人の古代への情熱という岩波文庫を読まなけければならなかった。 読まなければならなかった、というのは読んでいても未だ十代の子供が読むには経験も知識も足りず苦痛と我慢との修行だったから。 1…

スヌーピーのぬいぐるみと友達

スヌーピーと仲良く暮らしていた友達が今まで二人いた。 一人は小学校の時の仲の良い友達でその子のお家に遊びに行くと、ピーナッツというアメリカのコミック本がたくさんあってお母さんが刺繍してくれたスヌーピーの小物に囲まれていた。もちろんスヌーピー…

残りはおまけだ!

残りはおまけだ! 親友のお父上が70歳でお仕事を引退したあとに仰られた一言。 あとはおまけだから好きなように生きるという宣言だったのだろう。 江戸弁の叔父様のオマケという言いっぷりが洒落ていると思った。 もうそれも25年も前のことでオチオチしてい…

余裕と笑顔

余裕という言葉を考える余裕がなかった期間があった。 ある年齢に差し掛かり気が付くと時間的にも精神的にもそして経済的にも目一杯になっていて毎日が皿回しで皿が落ちないように冷や冷やしながらやり過ごす。 今思うとあの時どうやって毎日の綱渡りを過ご…

体を動かして遊ぶ

この数十年体を自由に遊ばせることを忘れていたように思う。 ヨガで子供の頃公園で思い切り駆け回っていた時のような感覚を思い出す。 だるまさんが転んだ・ゴム飛び・缶蹴り・うんてい・ジャングルジム・ちょっと勇気がいるけれど運動神経の高い子は空中シ…

副流煙吸い放題の昔のオフィス

高校を卒業したあと朝昼夜とバイトばかりしていたけれど、ようやく友人の紹介で神田神保町にある児童書の出版会社に就職できることになった。 それまでは何のコネもなく、実績もなく、新卒でもなく、ビジネスに役に立つ勉強もせずの就職活動は見向きもされな…

明治生まれのおばあちゃん

施設にいる叔父を見舞うために母の郷里である茨城県結城市に行った。 ここまで来るのにいつも思いに耽るのは子供の頃のお祖母ちゃんの家に行くまでに乗った京浜東北線の電車の窓から見た景色。 田んぼや畑の中に住宅が点在していたような景色も、今はどこま…

メランコリック散歩道

このところ寒くて曇りが続くと寂しい気持ちになってくる。 ショパンのピアノはこの心情を美しく掻き立ててくれるような響きだ。 ショパンのノクターンを聞くと晩年の母と車いすで散歩した道を思い出す。 ピアノ曲を流しながらの車いすで散歩は母も気持ちよか…

記憶のかけら

忘れ去られた経験が記憶の海の底からフーッと浮上してくることがある。 なぜ些細な思い出とも言えないような何気ない過去の断片が思い出されるのだろうと自分自身不思議に思うことがある。 例えば子供の頃来ていた服のこと、模様や素材やチクチクしていた着…

和食の家庭料理

子供の頃あんなにバカにしていた食べ物がおいしく感じると、晩年の母がよく言っていたものだ。 確かに私も大人になって和食の美味しさや奥深さを感じるようになってきた。 子供の頃は洋食や中華料理など濃厚な味付けでボリュームのあるものを好んだ。 お煮つ…

青森港から仏ヶ浦

青森県の下北半島にある仏ヶ浦という秘境へ行った日は今日のような秋晴れの日だった。 海岸沿いの絶壁近くに巨大な塔のような白い奇岩が立ち並ぶ幻想的な場所だ。 仏ヶ浦にアプローチするには陸側と海側からとある。 下北半島をぐるりと海沿いに移動するだけ…

ブルシットジョブ

派遣社員であったころは様々な会社に派遣されたので飽きっぽい私には面白かった。 家政婦は見たというドラマがあったが、家庭ではなく会社なので派遣社員は見た というバージョンだろうか。 保険会社のテレフォンオペレーターに派遣されて勤めたことがある。…

文化祭の準備

10月になると高校の文化祭のことをふと思い出す。 演劇部の部活はこの日を目指して、文化祭が年間の目標となっていた。 台本から舞台道具、衣装を作ったりするのに時間を費やした。 もし、あなたが仲間に誘い入れてくれなかったら、引っ込み思案な私は入部出…

採用面接とLGBT

風が吹けば飛んでいく零細企業の経営していたとき、社員・バイト・パートと何百人と採用面接をしてきたけれど、不採用を伝えるのはいつも悩ましかった。 人材は欲しいけれど、60%~70%ぐらいは見込み担保が無ければ後々苦労するのは判りきっているから…

科学的な筋肉強化

昭和のスポーツのトレーニングは闇雲にうさぎ跳びとか腹筋とか精神的な根性を身に着けるための原始的な内容だった。 科学的な根拠もなく、むしろどこかを悪くしたり痛めてしまうようなトレーニングだ。 休憩の時は、水道の蛇口から直接ごくごく水道水を馬の…

自分時間ゴールドラッシュ

仕事をするのを止めて、両親の介護も終わり、今は好きなことだけしかしていない。 働いていない事に何となく働く人たちに後ろめたく、介護真っ盛りの人にも申し訳なく、あまり大っぴらにこんなことを言うのは気が引ける。 それでも働いていた何十年の生活を…

銀杏の思い出

銀杏を八百屋に見つけ始めた。 銀杏はワンポイントの食べ物。有っても無くても良いような飾りの存在だが、あればあったで、なんとも嬉しいアクセント。 茶碗蒸しなどに一粒銀杏を見つけると季節感に心が弾む。 銀杏が大好物だという人はあまり聞かない。 私…

部活の野心

むかしむかし、中学生の頃バレーボール部に入って3年間部活を続けた。 レギュラー選手になってやる!という野心はこれっピッチもなく、顧問の先生がかっこよかったのと、背を伸ばしたいのと、内申書を上げるため。 運動能力のセンスもなく、運動神経も良くな…

あしたの少女

韓国の会社組織で働くのは熾烈だ。 何年か前、大韓航空の創業者一族の一人であるナッツ姫(事件以降からそう呼ばれるようになった人)機内搭乗中、客室乗務員にパワハラを行うだけでなく航空機をゲートに引き返させるという事件。 まるで韓ドラに出てくる財…

ちいさいおうち

渋谷駅は絶えず変貌を続けている。 ほぼ物心ついたころからデパートへ買い物といえば渋谷の東急百貨店だった。 あの頃は東横線はターミナル駅で改札を出てすぐ東急百貨直行できた。 母と一緒にデパートに行くのは何か買ってもらえるからではなく、電車移動の…

思い出の高級店

レストラン選びは集まる人の食の好みや会合の目的によって選ばなければならない。 一番気軽なのは気の置けない女同士のおしゃべりの集まり。リラックスできて面白みのある個性的なお店もおしゃべりのタネになる。 老若男女不特定の場合は価格も味もジャンル…

かあさん星

少女漫画の王道テーマの一つはバレエ漫画だった。 谷ゆき子先生といえばバレエ漫画、小学生ぐらいの子供向け漫画をよく読んでいた。 バレエ漫画は女の子の好きな、トウシューズとかフリルとリボンとかチュチュとか白鳥の湖とか、絵になるロマンティックなキ…

年の功

千里の道も一歩より、とか、ローマは一日にして成らず、なーんて昔の人は言っていた。 それでも未熟で凡庸な私はそれが実感としてよく解らなかった。 早く、早く!と思った。 早く結果を出したい、早く手に入れたい、早く完成させたいと。 よくある若気の至…

社会に出るためのOS

昔昔、大学受験に落ち、早く自立して社会に出て働くことに道を切り替えた。 親は放任主義でとにかく自立してくれれば良しという考えだったので、まずはお金を蓄えることから始めることが第一優先だった。 しかし美術高校卒業あたりでいきなりの就職活動では…

桑の木

新聞の記事によると最近の園芸ブームで桑の苗木が売れているとの事。 西洋ではマルベリーと呼ばれる桑の実を見たり、食べてみたかったり、といのが動機らしい。 私が子供の頃は母の実家付近にはまだ桑の木がたくさん植えられていて、それはお蚕さんの餌の葉…