片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

お魚屋さんの子供

小学4年生の頃の同級生でお魚屋さんの子がいた。

当時は鮮魚店も街の商店街にいくつもあり、その子のお店は商店街の中でも大きなお店で繁盛していた。

ご両親はいつも店頭に立って忙しく働いていらした。

学校のお母さんについて作文を書く課題でその子の秀逸な作文は今も心に覚えている。

一日中働くお母さんをよく観察していて思いやりにあふれていた。

お魚屋さんは寒い冬も暑い夏もいつも氷水に触れていなければならないし、次々注文をするお客さんをさばいていかなければならない。

ケーキ屋さんのように非日常な夢の食べ物を売る仕事ではないけれど、あの作文は彼女の心に映った美しい菩薩像のようなお母さんのことなのだ。

鮮魚店はだんだん減っていって、あのお魚屋さんもう随分昔に無くなってしまった。

あの子もきっと作文のお母さんにそっくりなお母さんになっていることだろう。

 

商店街のはずれに魚屋さんを久しぶりに見つけた。お魚の値段を見ながら今晩は何にしようか悩んでいた母を思い出した。ピウプより。

 

南インド料理を食べに

インド先輩の推しの南インド料理店で全て謎の物珍しいインド料理を食べた。

小さなステンレスの器に色とりどりのソースのようなスープのようなものが次から次へと出される。

ベジタリアンでタンパク質はほどんど豆で、日本のお麩を肉の代替で作ってくれた料理もある。

インド旅行で食べることのできなかったパニプリも出してくれてその美味しいのか良く分からないけれど慣れれば病みつきになりそうな複雑な構成の味。

空洞のまん丸の揚げ煎餅に穴をあけてひよこ豆を入れてマッシュポテトも入れて、緑色のサラッとした謎の汁を入れる追加にタイ料理についてくるようなコリアンダーの浮いた辛いソースをお好みで。

インド版の謎の小籠包とでも言おうか。

口に入れるとブシャっと汁が溢れて全てが混ざりあう。

この混ぜて自分の好みを作り上げるような食べ方、カレーというのかソースというのか

インドの人たちは並べた小さなソースをブレンドしてお米にまぜたり、チャパティにつけたり右の手先を器用に使っておいしく食べるのだろう。

日本によくあるナンとバターチキンのようなインド料理とは全く違っている。



少しづつ色々で沢山の料理を何種類食べたか分らないけれど面白いお食事体験。

ピウプより。

お土産の哲学

貰って困ってしまうお土産があるので私の場合は旅行などではお土産というものは極力買わないようにしている。

特に置物や雑貨やアクセサリーなどは趣味や趣向もあるし、THEお土産店という様な所の商品は生産地は地元ではなく遠く離れた工場だったり、海外だったりして興ざめだ。

どうせなら地元の人が食べている地元の産物や素朴な昔ながらのお菓子やそんな普段ものの品が趣がある。

お土産は食べて消えてしまう物が一番無難だろう。

旅に出て感動した何か断片でも証拠として持って帰りたくなるお土産もある。

昔、年末に行ったアムステルダムでクリスマスの美しい飾り物を売るお店を見つけた。その店のショウ・ウインドウの飾りつけの美しさと言ったら、一つのアート作品といってもよいくらいの感動だった。

この感動の記念にガラスでできた雪の結晶を幾つか買い求めた。

日本に持ち帰るとガラスの雪の結晶は割れてしまった。



昔のお土産は何か安っぽくて微妙なダサさが愛らしかったりして捨てることができない。ピウプより。

 

聖者たちの食卓

インド先輩のお勧めドキュメンタリー映画で聖者たちの食卓という映画を観た。

無料食堂を500年も前から毎日開くインドの寺院の一日を撮影している。

言葉は映画の最初と最後のみの字幕メッセージのみであとは人々の黙々と作業する姿。

ある場面は食材を調理場に運び入れる作業。

二人一組で重い麻袋を息の合ったプレイでどんどん運び入れる。

外の広場ではお喋りもせず車座になってグリーンピースを向く人たち、同じように車座になって玉ねぎの皮をむく人たち。

調理はチャパティの生地をこねて丸めて次の延ばす工程の人の方にどんどん投げていく。

チャパティが同じ大きさに丸く伸ばされてフリスビーのように籠にどんどん投げられて巨大フライパンに並べられる。

一つ一つの作業が人力で行われ、とてつもない人数による膨大な手作業でそして、とてつもない量の食事が作られる。

そんな単純作業が無償労働者によって休むことなく繰り返される毎日が神聖だ。

感謝する心を湧き立たせてくれるそんな行いの映像。

名もない偉大な人たち。ピウプより。

 

 

空き屋のミカン

桜はある日一揆に散ってすぐに新鮮な緑の葉をつけ始め、見事な早変わりを見るように新緑がスタートを切る。

今年は花見に満開の三日間を通った。

名もない名所を住宅街の中に見つけて宴会こそできないが、今年も毎年のように咲く桜にエールを送る。

ご近所さん達と思い立ってささやかな花見の散歩に行きがてら、空き家の庭の木にたわわに夏みかんが実っているのに気づく。

懐かしいミカンの木のマーマレードを作りたいと空き家の主が言う。

その方より私は頑健なので高い脚立によじ登り大量のミカンを採取する。

住宅街のなか日当たりのよいところにミカンは豊作の状態のまま忘れ去られていた。

みかん達が取ってと言わんばかりにビッシリとなっているのでしゃにむに、後先考えず取ってしまった。

夏みかんの重いこと重いこと10キロぐらい取っただろうか?

家に帰って新鮮なミカンの皮をむくと目の覚めるような香りとギッシリと詰まった果肉が輝いている。

種を除いた果肉を大盤振る舞いにミキサーに入れてタップリフレッシュジュースを作ってゴクゴク飲む。

レモンより酸味はなくて目の覚めるような美味しさ。

 

もう初夏は目と鼻の先。ピウプより。

 

 

 

別れと成長

4月は新しく何かが始まるのと同時に別れもある。

一番好きなヨガクラスの先生が引っ越してしまうのでその先生のクラスは終わってしまった。

これからもずっと先生のレッスンが受けられると勝手に思いこんできたのだが、人生に突然の別れはいつも付き物なのだ。

別れの4月は何十回と通り過ぎてきたけれど慣れることはない。

そんな別れもそれぞれの成長のためには必要なけじめ時なのだろうと思う。

一緒に過ごした時間だけが永遠に残り、いつか必ず誰にでも別れ来るものなのだから。

今までの学びの場から外れてまた一からしっくりくる出会いを見つける時なのだ。

少しレベルの上の、もしかしたら私には場違いになってしまうクラスに覚悟のうえで挑戦してみよう。

うまくできなくてもマイペースで調整するくらいのことはできるようになってきた。

春は進級と卒業の季節。

 

スタジオに面した通りにはケヤキの並木道で4階スタジオの窓からはいつの間にか新緑の葉が風に揺れるような季節になった。ピウプより。

 

 

 

 

 

インド中毒

インドから帰ってから地球の歩き方を読んでいる。

行ったところの歴史やそれにまつわる伝え話のようなものなどを復習するのが楽しい。

そしてまた行ってみたいと心に描く。

今度はどんな発見ができるだろうと思うとワクワクしてくる。

今まで気づくことのできなかった事を知った事や見つけた事が、宝探しのような楽しさだったから。

サリーを着た沢山の女性たち、ホームレスの子供たちやターバンを巻いた紳士、仏教徒イスラム教徒、個性的と言っていいのかそれともこれが普遍的な人たちなのか、日本に住んでいる限りこんな多様性に満ちた人間の世界を感じることが無い。

日本の安全圏から厳しい世界を見るとなんと自分は恵まれているのだろうと思うと同時に毎日を真剣に生活するインドの人たちが輝いて尊く見える。

その様々な人や文化が一つの国になっていることが羨ましくもあり、恐ろしくなる。

もし私はその中で逞しく生きられるだろうか。

 



次回は南インドに行く予定を立てている。ピウプより。