片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

蒸しパンが売っているところ

予期せぬ時に突然調子が悪くなる。それは何か食べなれていない物を食べすぎたり、過剰な行動をしたり、気候や環境の変化に身体が付いていけなかったり、そんなことが悪い方向に結びついてとうとう調子をおかしくする。

食べる事が毎日の楽しみである私がこの数日食欲もなく、胃が重い。こんな時は3日ぐらい絶食したほうが休まるのかもしれないが、口だけが寂しくて何かお腹に入れておきたくなる。それに胃の調子を整える薬を飲むためにも何かお腹に入れておきたい。

おかゆに梅干し、蒸しパンなど繊維質が少いものは腸内視鏡検査前日の食事の鉄板だ。

腸にとどまらず流れやすいメニュー。

蒸しパンはあまり好きではないがおかゆばかりでは退屈なので蒸しパンを買いに行く。意外にもパン屋さんには蒸しパンが売っていないのでスーパーへいくと蒸しパンのバラエティに驚いた。チョコレート蒸しパン、プレーン蒸しパン、瀬戸内海レモン蒸しパン、抹茶蒸しパン、和栗蒸しパン、メロン蒸しパン、黒糖レーズン蒸しパン…込みすぎてしまった。調子に乗って全部食べすぎないようにしなければ。

 

体力と気力のいる文学

オーディブルで『罪と罰』の朗読を聞き終わった。

朗読を聞くのは読むよりもストレスが少ないように感じる。声優さんが登場人物それぞれの声色や特徴を変えているので、登場人物が入り乱れるこの物語の流れがスムーズに理解しやすい。もし活字で追っていくと久しぶりの登場人物が誰だったかページを遡らなければ分からなくなってしまっていただろう。

それにしても話が長い。物語に出てくる人の会話も独演会のように長く一人の会話が30分位軽く続くのだ。果たして当時のロシア人の人たちは一対一の会話でこんなに長く話すのだろうか?しかも名前が長く、ミドルネームも入れたフルネームで呼びかけるので、慣れないロシア人の名前が覚えられず、耳に馴染んでこない。この文体と作風がドフトエフスキーの個性なのだろう。

日本人作家がこのテーマを作品にするならもっとアッサリとしたミニマルな文体になりそうな物語だ。ロシアの風土とドフトエフスキーのこの粘り気のある感じの繰り返しが餅つき大会の様だった。体力と気力が必要な物語だった。

 

 

地薬剤師の助言

エアコンの効いた場所で過ごす時間が長いせいか胃の調子が良くない。胸やけむかつき、膨満感、胃もたれで食欲もない。置き薬の中によくコマーシャルで聞くような名前の胃薬があったので飲んでみるがあまり効果が無いような気がする。使い捨てカイロをお腹に貼ると少し楽になったような気がする。お腹を温めた方がよいのかもしれない。

置き薬は2回分しかなく、いつ買った胃薬か分からなかったのでもしかしたら使用期限はとっくに過ぎていたのかもしれない。

いつも行く安い薬屋さんへ胃薬を買いに行った。この薬屋さんは飲み薬はレジの後ろの棚からだしてくるので、『胃薬ください』と言ったら『なんという胃薬ですか?』と聞かれた。胃薬をよく買うのならブランドを指定して買うのだが、胃薬は飲みつけていないので何を飲めばよいかわからない。『えーっとパンシロンとかですかね?』と適当に言うとアルバイトのようなロン毛のひょろっとしたレジのお兄さんがどんな症状か聞いてきた。『カイロで温めて治るのならそれだけでで充分ですよ』と言う。それでもというのなら…という感じで聞いたこともみたこともないような地味な薬をだして来た。なるべくな不必要な成分が入ってない、現状の症状のみを和らげる薬が良いという。見かけによらず、なかなか芯のある薬剤師さんだった。

お薬を飲むとなんだか調子が良くなってきた。前の薬が古くて買ってきた薬が新鮮だったせいか、もしかしたらあの薬剤師さんによるプラセボ効果だったのか。

 

眠っている種は何だろう

大人になってから自分の辿ってきた経験を考えてみると、人間の能力の中に、自身が思ってもみなかったような種が眠っていると思う。それがいつ発芽するのかは環境や誰かとの出会いやら何かしらのきっかけでムクムク育ち始めるか、途中で枯れてしまうか。自分の夢や希望の種が芽生えれば願ったり叶ったりだが、そんな素敵な事がすんなりいったら面白くもない人生のような気もする。

瓢箪から駒と言うことわざが好きだ。思わぬ展開で進むのは予定調和よりも、『えっ、こんな展開』の方がドラマチックじゃないかな。順風満帆な人生自慢する素朴な人がいるのだが、私は『この人は本当に楽しいのかな?それとも自慢する事が楽しいのかな?』と意地悪に退屈になってしまう。『それはようございましたね。ほほほ。。』としか言えない。

大人になって挑戦が面倒くさく、失敗もしたくなくなるのは自然な老化現象かもしれないが、諦める前に年を重ねてもまだ思ってもみなかった種がある事を思い出してほしい。

 

宇宙人の定義

幅広い意味で誰かと知り合い、付き合うのは偶然の環境とタイミングと能動的な行動が必要だ。

物心つき始めたころから人見知りと引っ込み思案で友達も少なく集団生活ではおとなしく一人絵を描いて過ごしていた。そんな引きこもり以上社交以下の生活のせいでボキャブラリーも少なく、言葉や会話表現に更に困っていた。

特別に仲良くなる人は宇宙人のような人だったのかもしれない。私の心の隅っこにジッとしているものを見つけてくれて声を掛けてくれる人は宇宙人的な能力があった。そんじょそこらに宇宙人がいるわけでもなく、宇宙人の方から私を見つけてもらうしかないのだ。そんな宇宙人は友達を作るのも上手くどんな人とも打ち解けることのできる言葉や態度を持っていた。

そんな宇宙人に助けられ学び、ようやく私もこの人は宇宙人かも?と思える人に出会ったときは能動的にすぐ声を掛けるようにしている。宇宙人か宇宙人でないのかは宇宙人でないと説明できないと思う。それは私も宇宙人になれてきたということだろうか?

 

1時間で売り切れになる八百屋さん

農家の玄関で毎日お昼ごろ八百屋さんが始まる。

通常の無人直売所と違ってバラエティに富んだ夏野菜の数々を並べているけれど、あまり採れなかった野菜は少しにか売っていない。新鮮さと安価で人気がある。少ししかない野菜はすぐ売れてしまうのでお昼のカンカン照りの中、近所の人たちがどんどん集まってくる。ヒッソリとした住宅街に、この売店は1時間ぐらいの間賑わう。

私も最近この売店を見つけて自宅から自転車で20分ぐらいかけてお野菜を買いに行く。今日買ったのはキュウリ、大玉トマト、モロッコインゲン、ナス、カボチャ、枝豆、ブルーベリー。新鮮なブルーベリーが嬉しい。

おじさん一人で切り盛りしているので大変だ。お客さんがどんどん来て野菜籠からどんどん取っていくのであっと言う間に野菜は空っぽになってしまう。まだパッキングしていない野菜が後ろに山とあるのにお会計でてんやわんやしている。そのうえ『すいかはないの?』とか『オクラはないの?』とか『トウモロコシはないの?』とかお客さんは勝手だ。見ればない事がわかるでしょうに。。。おじさんも一人一人に丁寧に説明しているのでお会計が止まっている。お会計待っている間に、私が代わりに野菜を詰めて並べてあげたいぐらい。

 

旅行計画:フィレンツェのオフシーズン

フィレンツェには11月に行こうと思う。観光客の少ないオフシーズンと言われている。雨も降るし日が暮れるのも早いらしい。そもそも人混みが苦手なのでオフシーズンの頃合いのいい時期を考えていた。寒すぎるのも行動しにくいし、ましてや今年の夏のヨーロッパの熱波は異常だ。雨が降った時のための装備を考えたり、スリ対策の事を考えたりそんなシュミレーションをしてみる。

30年前バックパッカーでヴェネツィアに行ったときのイタリアの印象はどうだったか思い出す。超観光地なのでもちろんスリは居ただろうけれど、今のようにスリの手口をショート動画で見て心配するなんてこともできなかったし、貧乏旅行者相手にスリも稼げまいという感覚だったように思う。食事だって屋台飯みたいなところで補給して旅行をやり繰りできた。ムラーノ島へガラス工房を訪ねた時、貧乏旅行者と見たのかガラス職人さんが工房近くのバールでカプチーノを奢ってくれた。恥ずかしいような心温まるような出来事を思い出した。