片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

日本的自己表現

子供の頃、日曜日に母とデパートに行くのは心が弾むイベントだった。

何かを買ってもらえるわけでもなく特に欲しいものもなく、ただ新しい商品が綺麗にディスプレイされている中を歩くだけで何かワクワクするような。

近所のお友達に羨ましがられないようにデパートに行くことは言ってはだめよ、と母に諫められたような覚えがある。

そんな昭和な気遣いを子供の頃から仕込まれてしまったせいか、それとも日本の社会から自粛することが美徳とされることを仕込まれたのか、若いころは自分の意見を率直に表現するのを我慢するか後回しにしてしまっていたように思う。

年を重ねて楽になってきたのは開き直りと図々しさを身に着けてきたことと自分を信じる筋力が付いてきたこと。

隠居の身では自分を犠牲にしてまで気遣いをするのはよっぽどの事でない限りありえない。

海外、特にバラエティーに富んだ人種のいる国はドシドシ主張しなければ誰も相手にもしなければ助けてもくれない。

日本の国の当たり前のような空気感で誰かが察して何かをしてくれたりすることはないのだから。



しかし矛盾しながらも、その日本的自己表現を愛している。ピウプより。