美術を学ぶのに歴史的な作品、時代ごとの象徴的な巨匠の大作を目の前で見ることは一番栄養になる。
日本で国際的な作品を見ようとしても、巨匠の小作品であったり、レプリカであったり、偉大な画家のもしかしたら弟子がその巨匠の工房で描いたような作品に触れるぐらいしかない。
ヨーロッパの美術館建物の重厚さ、そして有り余るほどの重要作品の所蔵量、と展示密度、そして天井の高さは、その空間と空気ごと観るものに迫ってくるようだ。
作品は動かないけれど作品の生生しさが伝わってくる。
もう50年近く前,上野の国立博物館にダヴィンチのモナリザが初来日した。
子供だった私も母にねだって連れて行ってもらった。
それはそれは長い行列をつくってモナリザ一点だけのために日本全国から人が押し寄せた。
さあモナリザの前にやっと到着すると、ガードマンが止まらないでください!と連呼してまるで押し合い圧し合い満員電車に乗り込むときのような有様で、モナ・リザに3メートルぐらい接近したという事実確認だけに終わった。
感動と悔しさの入り混じった気持ちで、いつの日かルーブル美術館に必ず行くと心に決めた。
ルーブル美術館で高校の時にデッサンした複製石膏像の本家本物、大理石像をたくさん見た。私がデッサンしていたのはいったい何だったのだろう。ピウプより。