片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

思い出を共有できる事

たしか父は左手の親指と人差し指が無かった。欠損していた。私が生まれたときから彼はその状態だったので不自然もなく私にとっては健常人であった。

先日母の姉である伯母が, ゆうちゃんは弱音こそ吐かなかったけど大変だったろうと思うよ。。と父の思い出話を始めた。父が8歳か9歳ぐらいのころ軍の管理のいい加減な武器倉庫らしきところで見つけてきた弾丸を家に持ち帰り、こたつに入っていじって遊んで爆発事故を起こしてしまった。運よく伯母と伯父が同じ場所にいたので彼をリヤカーに乗せて病院を探した。時は戦時中、病院など設備の十分な所はなく、ようやく見つけた外科医に麻酔薬もなしにペンチで指を切断された。破片が左目に入って片目失明に近かった。

自分がしでかしてしまった失態、という子供ながらにも強い自責の念からか、泣くこともなく気絶することもなく。たしかに父は寡黙な人で忍耐強く簡単に弱音を吐くような人ではなかったけれど、お酒を飲むとでれすけになってしまったのは気持ちをどこかでリリースしたかったからだろう。こうやってもうこの世にいない父のことを思ってくれる伯母の気持ちがありがたく、うれしく、私のなかにある父の存在とともに慰められた。

私が生まれたとき父は私の指を握りじっと見ていたという。扇風機に指を入れないよういつも注意していたという。父ちゃんの分まで指と目を大切にするよ。ピウプより。