一生懸命に一途になると、呼吸も止めてしまったり、目が開いて固まっていたり、余裕というものが無くなる。
目的を達成することだけにフォーカスし過ぎてしまうと逆に盲点が増えてしまうことがある。
先日ヨガクラスで木のポーズという片足で立つポーズをとった。グラグラしてしっかり一本の案山子のように立てずにいた。
そのときのインストラクターの言葉は、立とう立とうと念じるあまり、無意味なところに力が入ってしまうので体に任せてぼーっとに動いてごらん、と言われた。
意外とボーっとしていたほうが体が適当に考えてやってくれるのがわかってきた。
こうするべきだ、ああするべきだ、こんなこどはダメ、あんなこともダメ、そんな風に過干渉に、自分の体に強制命令をしてこき使ってきたんだな、と気づいた。
ぼーっとした空白の時間があると新しい考えも浮かんでくる。
ギチギチに詰め込んだ頭のなかはそれだけで窮屈な考えに囚われてしまっている。
体を体の動くようにさせて、自動運転できるようになればもっと自由にもっと楽に軽く羽を広げることができるはずだ。
昨日のクラスは腹筋三昧でヘロヘロになった。どうしても自主トレでは甘くなってギリギリまで追い込めない。ピウプより。