片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

韓国料理 ソウルフード

韓国料理が好きだ。韓国旅行に行く楽しみは韓国料理を味わうことが大きな目的でもある。韓国レストランは韓国料理の一品が専門店になるお店がほとんど。冷麺であれば冷麺店、お粥であればお粥屋、ホルモンであればホルモン店、ソルロンタンという牛コツスープの店やコムタンという牛コツスープのお店だったり、結構細分化されたお店があるので楽しみが広がる。

毎回ソウルに行くと朝行く干しタラのスープ、プゴク(発音が難しい)を食べにいく。席に案内されると注文しなくてもスープとごはんが出てくる。テーブルの真ん中の蓋つきのケースに新鮮なキムチがどっさりと用意してある。タラの出汁が良い感じに出ていて透明スープにワカメやネギや卵がふわふわしている。ソウルの冷麺、コングクスという豆乳に使った冷たい麺も珍しくて美味しい。総じて体に優しく健康の良いバランスの取れた料理が多い。

日本のように季節の料理や地方独特のお料理があってソウルだけでなく地方にも行ってみたい。汁物はバラエティーが広い。冬の韓国はひときわ寒い、湯気がもくもく立つスープ美味しく感じられるところ。

市場の食堂や屋台も面白い。昔ながらの食べ物が進化してでブームになっていたり、韓国の食べ物はいつ行っても新しい発見がある。ピウプより。

奥ゆかしく美しい日本語を使う人

韓国に初めて旅行したのは20年前。韓ドラブームも丁度起きる前あたりだった。なんの予備知識もなく、計画も立てず、地球の歩き方だけを持ってその日その日行き当たりバッタリで。初めて行く国というのは見るもの見るものドキドキするほど新鮮だ。

韓国の人達や街のようす、地下鉄やバスそんな風景が、日本に似ていているような全然違うような不思議な概視感だった。看板は似ている建付けだけれど文字は模様のような読めないカタカナのような文字。飲食店で使う食器は歯医者さんで使うコップで水が出てきたり、洗面ボウルのようなものに冷麺が入っている。今でこそドラマや映画で食べ物の食べ方やマナーについて学んで馴染んで当たり前になっているが、あの時は不思議だらけで楽しかった。

ある朝、朝ごはんにお粥を食べようと一緒にいた夫と地図を見ながらあっちこっちウロウロしているとお爺さんが話しかけてきた。とても丁寧な日本語で。お粥屋さんに行きたいことを話すと、近くの不動産屋さんに尋ねてくれた。これは太陽という建物にあります。おひさまですよ。とやさしく道順を教えてくれた。このご年齢であれば日本語と日本名を強制された方であろう。それでも日本語をしゃべることを懐かしく感じてもらえる方であったのだろうか。感慨深くアワビのお粥を食べる事が出来たあの日。

あのご老人の日本語は小津安二郎監督の映画に出てくるような脚本のセリフのように奥ゆかしく美しく完璧であった。時の止まったままのような言葉がビビッドに私の心に刺さった。ピウプより。

無駄にフレンドリーな接客

アメリカ人店員の接客態度はとてもフレンドリーなアプローチ。自然な会話と笑顔でリラックスさせてくれるのは英語の表現と文化からだろう。たまに店舗周りの環境状態によってはつっけんどんで失礼なファーストフードの店員などもいるけれど。

日本のあるコーヒーチェーンで飲み物の注文をしたとき店員の接客の不自然な会話で違和感を感じることが多い。本部の教育か、マニュアルなのだろうと想像する。昨日と違う注文をしたら、今日は違うのですね、ってどういう意図なのだろうか?昨日のあなたの注文をまだ覚えてますよってことだろうか?なんとも返答しがたい。昨日はホットきょうはアイスにしたら、今日はアイスなんですね、お近くにお勤めなんですか?っていきなり聞くことかしら?次に待っている人もいるレジで会話する内容だろうか?

たまにご老人と店員がレジで話し込んでいるときがある。ご老人は時間もあるし会話にも飢えている。なかなか若い店員と話すチャンスも無かろうからそういうかお客様には有効な会話の切り口だろうけれど状況をよく見てほしい。朝注文をしたい人が並んでいるのに上手く会話を切り上げられないのはご老人のせいというより店員の対処がチグハグなせいだろう。

無駄にフレンドリーさを演出するまえに改良すべきことがある。お客さんの言う注文内容を把握せず、再度店員がマニュアルに沿った順番で注文を聞き直すという無駄。客が合わせなければならないような接客ではアンフレンドリー。コーヒーはおいしいけれど買いに行くのが面倒くさくなる。

この人材不足下、AIで十分なのではないか、もしくはそのほうがお客もリラックスできるのではないかと思う。 ピウプより。

秋晴れの日にどこかへ行きたくなる

ここ数日気持ち良い秋晴れの日が続いている。秋晴れの空は心を広げてくれる。何かいいことがあるんじゃないかと思える日。電車で移動しながら外の景色を、広々とした空を見る。どこかこのまま遠くへ旅をしてみたくなる。

そういえば最後に飛行機に乗って行った海外は7年前だったかしら。そろそろどこかへ行ってみようか?自分の為に使う時間がやっと持てるようになってきたし。どこへ行こうか?今までは年末年始や5月の連休など旅行レートのピーク時に行くことが多く、時間節約のため直行便で行く都市観光ばかりであったので、選択肢が限られていた。

今度はどこへ行こうか?国内であっても海外であっても都会ではなく田舎に行ってみたい。国内だったら日本の端っこの海のある最果てのどこかへ、韓国だったらソウル以外の地方都市の市場巡り、東南アジアであったらジャングル、オランウータンの孤児院に行けたらいいな、アメリカだったらイエローストーン国立公園に行き、国立公園巡り。。アイデアがどんどん浮かんで、想像するだけで脳から涎がでてくるようだ。

今度はオフピークに旅行者の少ない時期に行きたい。旅行に行く前の計画から旅がはじまる。

猫人形展 ハーモニー元住吉


今までは日数、移動時間や予算など具体的な数字から固めて計画していたけれど、今度は行きたいところを最優先して計画を立てたいな。世界のどこかのあなたに会いに行きたい。ピウプより。

 

 

 

夕方のおつかい

日が落ちるのが早くなった。16時ごろになると急ぐ理由もないのに気が急く。17時スーパーにて買い物をする。やや混みはじめているのでカートで買い物をするも商品棚や冷蔵棚の前で思案しながら立ち止まるのが憚られる。そんなことで商品をさっさと取ってレジへ進む。この時間帯は今晩は何にしよううかな、などと悠長な買い物はできないので、普段は閉店2時間前ぐらいにのんびりと買い物に行くようにしている。

昔子供の頃、駅前にある古い建物の地下が吹き抜けの広い市場スペースになっていた。個人商店が各小間を借りて、豆腐屋、乾物屋、肉屋、八百屋,魚屋などを開いていた。夕方母と共に買い物籠をぶら下げてあの地下へ行ったものだ。かつを節を削って売るお店はかつをの匂いをぷんぷんさせている。買ったことはなかったが輸入菓子のお店があって馴染みのないパッケージデザインのアメリカやヨーロッパのお菓子が並べてあるのを興味深く見ていた。お茶屋さんではおばあさん3姉妹がお店に立っていた。日本がスーパーもまだまだよろずやレベルで、主婦は商店街であちらに寄りこちらに寄りで買い物をしていたころの話。

夕方せわしなく買い物に行くとあの頃、地下の市場で母と買い物をしていた事を思い出す。

アジア圏の市場が好きだ。あの匂いや活気、混沌とした雰囲気が。そんな感じが日本にも昔あったのだ。ピウプより。

人間の体はハイスペック

人間の体がどんなにハイスペックであるかと言う事を思い知るこの頃。体にある筋肉は使わなければ使い方を忘れ、そして使わないうちに退化していく。実感しやすいのは足の小指。足の小指を動かそうとしても動かない。幼児の頃は動かしていただろうか?そんなこと憶えてはいない。動かすには小指を見つめながら、動け動けと念じながら脳で命令するとピキッと動いたような気がする程度。とくに私の右足の小指は鈍感だ。

そんなとこ何時使うの?使わないのだからいいじゃない、生活の中で使えるとこだけでいいじゃないと思いがちだけれど、体の中には縁の下の力持ちのような筋肉や影武者のように頑張ってくれるた~くさんの筋肉が存在するのだ。自分の知らぬうちに同じ筋肉だけに頼り、右側左側どちらか片っ方だけをエコひいきに使い回してしまう。するととんでもない身体が出来上がっているにもかかわらずそれをニュートラルな位置と思い込んで試練の道をいってしまう。

この有能な影武者筋肉たちを呼び覚まさなければ眠ったまま廃用萎縮という四文字熟語で書くと恐ろし気な表現になってしまう。せっかくこの世に頂けたこの体満遍なく使いこなして過ごしたい。

体操のおにいさんのようなピラティスの先生が自分で動かしているか使っているか感じにくい筋肉をこれから強化しますよ!と言ったけれど、禅問答のようなレッスン。ピウプより。

子供たちの危機管理意識

羽毛のお布団に入って眠る。食べ物もある、平穏で平和だ。それでも人間のDNAにいつも危険を感じようとするシステムがあるという。原始の時代から不安な心警戒心はいつも発動しているようだ。私は心配性な質である。危ない人物を察知する能力は子供の頃から敏感であった。変質者の出やすいところ、電車で痴漢の好きなロケーションなどに勘が働くというような。

小学生の頃、変な歩き方、妙な出で立ちで違和感を感じるオッサンなどはすぐにマークした。いつも逃げられるシュミレーションを考えながら下校していた。遠くから歩いてくる変質者とマークする、オッサンが近づいてくると露出狂であったり、私を狙って何か企んでいる様子であったりする。驚いたり目を合わせたりしては刺激してしまうのでこちらも予想外の方向へ向かい、あれ、田中さーん、と知り合いを見つけたふりをするなど,いろいろオプションを考えておく。自分でも本当によく変質者を見つけられてしまうものだと思っていた。

高校生の頃は電車通学中痴漢被害に幾度なくあった。どこからともなく手が忍び寄ってくる。しばらくはじっとしているが、ここぞというとき静かな静かな満員電車で大声でやめてくださいと叫ぶと、一気に引っ込む。そして心ある人が安全スペースを作ってくれる。無言で。。。静かなまま。。。

私はおとなしく引っ込み思案であったが、その分過剰に危機管理意識が高い子供であったのかもしれない。子供たちに言いたい、身の回りに起こりそうな嫌なことにたいしてどう対処するかシュミレーションしておくこと。怪しい人間をターミネーターのようにマークしておくこと。

子供たちのみんなには、おかしいな、あぶないなと思う自分の気持ちを信じてほしい。ピウプより。