片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

他人のふり見て我が身磨く

他人を見て自分に気づくことが多くなってきた。

今まで周りの人を観察する余裕がなかったからなのか、自分を客観視できていると過信していたのかもしれない。

先日同じ世代の人と話していて、気になったのは「年だから」といって何かを諦めてしまう勿体なさを感じたこと。

自分で自分を制限してしまいそうな言葉、言葉というのも自分を作るものなのだな・・と考える。

言葉に出してしまえば他者に伝えるだけでなく自分に言っている要素もあるのだと思った。

繰り返し使う自分の言葉にはどんな自分があるのか、励ましているのかそれとも自虐なのか、言い訳なのか、それが良いか悪いかという評価ではなく、自分の内面を客観視することができる。

 

ヨガのレッスンでも自分はどのように動いているのかは動画にでもしないと見ることが出来ない。

指導による指摘は言葉で背筋を伸ばすとか尾骨を床に向けるとか肩甲骨を下げるとか意識レベルが繊細過ぎて果たして出来ているのかどうか自分では分からない。

周りの生徒さんを見ると、あ~なるほど背筋伸びてないってこういう事ね・・と具体的に理解できる。

私もきっとあんな感じなんだろうな、と。

自分を他者のように扱い見ること。メタ認知の一つを他者から学ぶ。ピウプより。