片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

今日一日食べられることに感謝

現代日本では食べることが簡単にできる素晴らしい時代だ。原始時代は今日のご飯は食べれるのか、食べれないのか狩りや猟次第だったのだろうし、取った獲物の保存方法とて選択肢は干したり燻したりそんなところだろうから、食べる前に保存できないところから、例えば内蔵とか血とかそんな腐りやすいところから優先して食べて行かなければならないだろう。サバイブ・ファースト。

今日は寿司って感じじゃない、とか焼肉って感じじゃない、なんてワガママを通り越して傲慢不遜だ。私は食べ物がなくなってしまったらどうしようという強迫観念が子供の頃から強い。それは食べることが好きであること、それと矛盾して食べ物の好き嫌いが激しかったからだと思う。小学校の給食でどうしても食べられなかったのは肉の脂身とマーガリン。昭和の教育で給食は残してはならぬ掟があり、無理やり牛乳と水で飲みこんで苦しかった。

それでも食べ物を無駄にしないという観点からは食べきる事は大切なことだろう。もっとも、工夫をして食べられないものを美味しく食べきる事が洗練されたあり方だと思う。まずはお腹が減った時に食べれる有難さを今日も一日、味わい噛みしめる。

今日のお昼ご飯は大豆とこんにゃくと揚げとシイタケの煮物、白米一膳とジャコ山椒とパイナップル。今回のお食事テーマは冷蔵庫の整理整頓。ピウプより。