片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

見えないものが伝わってくるような

自己表現は子供の頃は無意識だ。だんだん成長するにつれて意識的になる。子供の頃は自分がなぜそれに惹かれるのかは考えることなく、ただ無心に夢中になる。大人になるとそれに気付いてもっと意識的に自分の興味と利益に基づいた表現を具現しようとする。

私はそもそも言葉は苦手である。子供の頃の作文や夏休みの日記など本当に苦痛だった。書きたいことなどこれっぽっちもなく、嫌々つまらない作文を書いていた。自分の思ったことを言葉にしたい伝えたいという気持ちもなく。しかし本を読むのは好きで、言葉に関しては受け身であった。インプットオンリーだった。読後感想文も、皆も読めばわかるでしょ、わざわざ人の感想を読むのって意味あるのかしら。。言語能力に劣るいじけた子だった。

大人になって社会人として仕事をする上で否が応でも、いわゆるコミュニケーション能力というのが社会人の要であるということを思い知った。何を伝えるか、どう伝えるか、いつ伝えるか一番相手が納得できる言葉を作るのは想像力と観察力そして洞察力しかない。状況を観察し、推測する、仮説をたてる。すべて言語化して共有していかなければ。自己表現というにはちと違う建設的で事務的で実用的かつ戦略的作文。。

でももう今は先生や上司や取引先に受けのいい文章を書くのではなく、フリーな気持ちでのびのびと気の合うだれかと無駄話するような作文が書きたくなった。あなたの顔を思い浮かべると、あの時伝えたかったこと、伝えられなかったこと、色とりどりのな思いや考えがどんどん湧いてくる。これこそが気楽な自己表現。

あなたの文章もまた読んでみたい。いつも送ってくれた手紙はほんと面白くて、何を書くでもなく、見えないものが伝わってくるような素晴らしい力作。また何か書いてね。ピウプより。