片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

体が記憶する

奇跡の人というタイトルでの戯曲がある。

ヘレンケラーのお芝居なのだけれど、このヘレンケラー役をできるのは演劇の天才少女というのが決まっている。

サリバン先生が水という文字をヘレンの手のひらに書いバケツの水を掛けられる。

暴力的とも思われる教育でヘレンが初めて水という言葉を発するシーンがこの戯曲のクライマックスのようだ。

耳も聞こえず目も見えずの人に感覚で言葉とその対象を学ぶというのは体に言葉を覚えさせるような作業なのだろうと思う。

頼べき外部感覚が無ければ、言葉という空気をつかむために内部感覚を働かさせるしかない。

ヨガのレッスンも体の部分を感じそこに命令を送れるようになるために自分の内部感覚を研ぎ澄まさなければならない。

体にその感覚を感じさせて繰り返し、まるで一つの単語を暗記するように浸透させなければできない。

今まで何一つ運動もせずに使わない筋肉はカチカチに姿勢は歪み縮こまった体を不自由とも思わず過ごしてきたのだから。

そんな体をほんの少しでも動かし表現できるようになると、自在に自由な気持ちで体も軽くなってくる。

体が一つのニュートラルな位置を形状記憶できれば動きも自然に楽になる。

感覚を養うのは自分自身以外いない。誰かが代わりに感じてくれるのではなく自分しか自分を感じられないから。ピウプより。