片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

亡骸のポーズ

今まで長く活躍をみてきたアーティストや年上の親戚がどんどん亡くなってでゆく。

私が大人という人たちは70代以上なので皆あとは生命力と寿命の個人差で生きていくような年齢だろう。

そう考えるとざっくりと順番が巡っていくのだとおもう。

この数年で父や母を見送って、死んでしまうのがいとも簡単なことだと分かった。

両親は長い闘病生活と言うものはなく、死に抵抗することなく亡くなった。

生きている人間と死んだ人間の間の境目というのははっきりしてはおらず、ぼんやりしているような感じだった。

そうやって身近な両親は死んでいくところを見せてくれたので私も自分の死のシュミレーションを想像してみるようになった。

ヨガのレッスンで最後のクールダウンにシャヴァーサナというポーズをとる。

それは死ぬときの感じをつかむためのポーズなのだろうか、すべての力を抜いて横たわる亡骸のポーズ。

人間であればいつかその時は来るので、こうなるのかな、ああなるのかな、と薄っすらとした想像をしながら横たわる。

そうすると生きている間は思い切りに生きてみたいと生き生きしてくるようになる。

 

死んだあとは死んでみないとわからない。生まれるときも生まれてみないと解らなかったのだろうから。ピウプより。