古い日本家屋を見つけるとワクワクする。
その建物の場所だけが時の止まっているのか、現在に至るまで周りの景色に取り残され、生活の愛着に染まったその風情にイマジネーションが膨らむ。
先日、上野の本郷から根津へ根津から不忍の池へ歩いた。
根津の辺りで立派な屋根瓦の木造3階建てぐらいの高さのある古い日本建築を見つけて惚れ惚れとしてしまう。
日本料理店が内部を改築して営業していたので今度お昼にでも一つ食事してみよう。
ランチでもそれなりの金額だが、今時美術館の入場料でも3000円ぐらいは掛かるのだから、建物の中に入って食事ができるのは嬉しい。
まだここに暮らしているのだろうか、それとも空き家なのだろうか、と思うようなひっそりとした古い建築物に出会うことがある。
どんな人たちが昔、賑やかに暮らしていたのだろうか?
建物の古い分、持ち主はそれなりの年齢だろうし、もし引き継いで住んでいる方がいるなら、もう少し活発な暮らしの形跡があるような気もする。
そうやって住む人も居なくなりその場所が5年10年と時が止まったまま荒れていくのだ。
古い家には時間が凝縮したような琥珀色の味があっていつまでもそのままであってほしいと思いつつも何時かは壊され更地になるのだ。諸行無常。
地球はコンクリートの建物がどんどん増えていく。 建てては壊して建材のゴミはどこへ行くのだろう? ピウプより。