片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

会社内のアンタッチャブル

10年、20年前というのがついこの間のように感じる浦島太郎化が進んでいる。それは私だけではなさそうだ。高齢化著しい昨今の日本、数多の浦島太郎が存在している。世の中のルールも習慣もどんどん進化して、井の中の蛙になってしまうと、あっという間に時代錯誤の感覚に陥ってしまう。

それは自分のテリトリー以外の社会状況に気付こうとしないからだろう。それが固着化して変わらないまま肉体だけが年を取っていくのが厄介だ。肉体的に老いて精神的成長がどこかで止まってしまうのは、勤め人のおじさんに多いようだ。何かが見えず、気づけず、そして岩のように頑なになる。時の止まったままの価値観やルールを通そうとすれば、今の世の中では御法度になってしまうこともある。本人に悪気はなくとも発言一つで様々なハラスメントになってしまう。立場的には若い人たちがアドバイスしづらい関係だろうから、むしろおじさんたちが能動的に学び、教えを請い、感性を磨いていかなければ自分自身が置いてけぼりのアンタッチャブルになってしまう。

ブリキの太鼓というドイツ映画があった。主人公の男の子はあることをきっかけにして年を取るのを止めてしまう。彼の場合は肉体的成長を止めて、精神的には進化していくという反対のパターン。ピウプより。