片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

モノ・モノ・モノ

昭和で戦争の時代を生き延びた人は,欲を満たされなかった時代の

反動だろうか、物・物・物を買いこみ。ため込む。

今でいうなら大人買いというものだろうか。

 

今日は義理の母の一軒家へ、マンションへ引っ越しの準備へ行った。

パッキングしながら、搬入すべき荷物を選り分けて、ダウンサイジング

していかなければならない。

押し入れ、タンス、戸袋、のなかに、瀬戸物屋ができるくらいの食器、

古着屋ができるくらいの服、大量の写真アルバム、ありとあらゆる収納スペースに

ぎっしりと物が埋め尽くされている。

個人で管理しきれぬ物量が次から次へと現れる。

 

断捨離という言葉が作られて、断捨離番組などがあるくらいなのだから。

これは一般的・普遍的によくある一軒家の物量なのだろう。

あとは執着をどのぐらい手放すことができるのか?

家へそのものの思い入れもあるだろう。

 

老いというのは病気というより自然現象なので、

老いを止めることはできないから、なるように任せていくしかないだろう。

諦め、優しく受け入れることが周りの人間も本人のためだろう。

それは悲しいことだが、それを手放してこそ穏やかに過ごせる。

 

そしていつか、いや今、私は老い始めている。

だから先輩達の例をよく観察し、学び、自分の役に立てたい、

 

物事をパースペクティブに見る、これはイメージを描くこと。

時代ごとの価値観、日本人の価値観、男女の価値観

色々な違いの中で自分はどのように考え、判断するか。

誰かのことではなく、自分の事として。

 

人形供養

あなたのお家へさようならを言いに行った日、寂しく悲しかった。

自分の大切なものは永遠に存在する補償はなく

何処でも誰とでもお別れする日は必ず来るのだということ

その思いがあれば、これからは一つ一つ愛情を持って接することができるでしょ。

ピウプより。