花嫁道具としての着物や桐のタンスが形骸化してしまったのは、
感覚的には70年代ぐらいからだろうか?
私の母は着物一式と桐のタンスは花嫁道具として持たせられた世代。
母の母、私の祖母はいつも着物を着ていた。
今は普段着で着物を着る人はよっぽどの趣味人。
母の着る当てのない着物を少しづつリフォームし始めたきっかけはベトナム旅行。
ベトナムは仕立て屋さんがここかしこにあり、縫製技術も定評があり、
日本円で安く注文できる。
解いた着物を材料に、デザイン画とともに注文すると帰国頃には出来上がっている。
私が着物で作った服を着ているのを、母が目にすると、
彼女がその着物を着ていた時、場所,会った人のこと、を鮮明に語るのだった。
ずっと、たんすに仕舞いっぱなしだった、思い出の引き出しが開くような。
わたしが着物で作った服を着ているのが、嬉しそうだった。
あるご年齢の見知らぬご婦人に、通りすがりに声をかけられることもある。
懐かしさを放つものが感じられるのだろう。
着物に対する感受性や思い入れが高い世代。
母が亡くなり、着物のすべては私が譲り受けた。
私も、もう着ないだろう。
でも仕舞ってコレクションを眺めるのではなく、毎日に活かしたい。
一つ一つ着物をほどきはじめた。
着物は手縫いで作り上げ、それはそれは信じられないほど、
複雑に丁寧に縫いこまれている。
解くと折り紙のように1枚の長い四角い布になる。
ほどいている間、この着物を縫ってくれた人はどんな人だろう
この着物を選んだのは祖母だろうか?それとも母だろうか?
そんなことを思い馳せながら。
私はこれをすべてほどいて、洋服に仕立てて、日常で着尽くしていきたい。
この服を着れば、祖母や母たちにいつも守られているような。
そして、その愛情に包まれているような、
勇気と力が湧いてくる服になるだろう。
今度は私が着る度に、母や祖母の事を思い出す服になるだろう。
あなたのお母さんも着物をたくさん持っていたでしょ?
ほんとうに思い出のこもった物の活かし方を、
ただただ、ゴミとしてしまうのではなくて、
生かして、楽しく生き生きとさせたいね。
共存共栄、美しく。ピウプより。