落ちぶれた貴族の悪趣味や、倒錯した恋愛など自分の生きている世界とは全くかけ離れた状況に退廃的なもの耽美的なものを感じてハマってしまった映画がある。
完熟から腐敗のギリギリの美の臨界点を追い求めたような。
リリアーナ・カヴァーニ監督の愛の嵐という映画の主演女優のシャーロット・ランプリングを思い出す。
破滅に近づく映画のラストシーン近くで、シャーロットがジャムを瓶から素手で取りだして食べる。
こんなグロテスクで屈辱的な映像も美しく官能的に演じることができるのが唯一無二のシャーロット・ランプリング。
そして、ビスコンティ監督のベニスに死すでのラストシーン。
自分の死期を知った老年役のダーク・ボガードが滑稽で醜悪な若作りメイクをした顔の化粧を汗で流しながら命が絶えるという、壮絶シーン。
美しい少年タッジオが生き生きと彼の前を通り過ぎるのを見ながら絶命する。
マーラのアダージョがまるでベニスに死すのこのシーンの為に作られたかのように思える。
このラストシーンだけの為にこれらの映画は出来たのではないだろうかと思うほど。
芸術は綺麗なだけでは物足りない。悪と醜と影と。ピウプより。