片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

写真にサヨナラ

今月から持っている写真を一日一枚づつ捨てることにしている。

写真を撮ることがフィルムから紙焼きの工程を経る時代に生まれた私の写真はデジタル1に対してプリント3。個人的に写真をまめに撮るタイプではなく、集合写真は苦手である。なので写真の全体の所有量は日本人としては比較的少ない。

私の父母世代は紙焼き保存のピークであったろう。昭和中心世界の世代は。旅行に行っては写真、会合で写真、友達とツーショット写真などなど、どの顔どのポーズも同じようなショット。それでも記憶に留められない自分の一瞬だけの思い出を捨てきれない。再度その写真を見ることがあれば当時の回想を楽しめるのかもしれないという期待。

過去の写真を捨てきれない気持ちは同感であるが、その大量の過去の一コマ、一瞬をまた見る日は回想する日はいつ来るのだろう?引っ越しなどで写真を整理する日?もしくは写真は自分が死ぬまで見ることもなくただ存在するのみ?多分そのどちらかだろう。

持っている写真を一日一枚見てその過去とさようならすることにした。その時の自分は何を考えていたろうか?何に一生懸命取り組んでいたろうか?本当の笑顔?それとも写真用の笑顔?今の自分は明らかにその時の自分ではないことを確認しながら。

これだけは、と思う写真はデジタル化することにした。もう存在しない事実を証明するような写真。それでも絞って絞って最後の一枚にするくらい軽くなって身軽になりたい。ピウプより。