画家が存命中その作品が評価され、画家自身ももてはやされるのは
魅了させてしまう、何かマグネティズムのようなものを持った人物
なのだろう。
名前もエキゾチックでドラマティックな人生を画家としても女性として、
華々しく社交会で持てはやさた。
その作品も官能的でありながらキュビズムっぽいという、相反するような
表現は女性だからこそ、また彼女のような生き方ができるひとだからこそ
出来るのではないだろうか?
1920年代の作品というクラッシックさはまるで感じられない新鮮さは
彼女自身のマグネティズムが投影されているからこそだろう。
人生があまりにもゴージャスすぎて、日々の生活という生き方より
椿姫のような生き方をするのは悲しい何かが待っているような予感がする。
作品の中の人物は彼女自身のように美しく艶めかしく、まるで
ドリアングレイの肖像のように彼女の最後は美しい肖像に囲まれて老いていく。
あなたがタマラの最後の話をしてくれたよね?
彼女は晩年、メキシコで自分の絵を模写しながら余生を送ったと。
自己模倣をしながら最後まで絵を描き続けたと。
最後まで高貴に美しく。
またタマラ・ド・レンピッカの展覧会企画ないのかな?
あったら一緒に行きたいな。 ピウプより。