言葉が通じるとき、伝わるとき、人と人の間の
見えないものが繋がる。
まるでケーブルが開通したような。
言葉が通じないとき、伝わらないとき、人と人の間には見えない高く厚い壁。
まるで東西冷戦時代のような壁。何も解らず
聞こえてこない。
通じなくても逢えなくても諦められない人
がいる。
いつか繋がるのではないか、偶然を待ち、
思いつくチャンネルを当たってみたり、
神社参拝で祈ったり。
きっと開通してしまえばこんなに簡単な方法が
あったのか、と思えるのだろう。
その偶然は何時やってくるのかは分からない。
あと30秒後か、来月か、もしかしたら3年後か、もしかしたら。。
悲観的になるのは、よそう。
もっと想像を飛びぬけたような、グラマラスで
ゴージャスな、喜劇的で感動的な
そんな再開を夢見てる。
私の夢①フィレンツェのヴェッキオ橋で
バッタリ会う。でもまるで昨日会ったばかりの
ような、大人の再開。
私の夢②南フランスの小さな村であなたの声が
聞こえてくる、フランス語が上手になったな、
朗らかな南フランスの言葉。うれしくて声の
ほうに近づいていく私。
私の夢③新宿ゴールデン街の小さなバーで
バッタリとあう。あんまり面白くて涙が止
まらない。
妄想なのか夢なのか、いや目標なのだ。
毎日を大事に大切に使っているよ。
テッシュみたいに簡単に無駄に使わない。
ピウプより。