片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

アムステルダム 夜警といえば?

愛すべき画家 レンブラント・ファン・レイン 

最初にレンブラントを知ったのは小学校5年生ぐらいだったか?

夜警が教科書に載っており、彼のコアの光と闇の表現がまさに

ハマって名声を挙げた代表作品なのだろう。

 

私は子供で日本人で海外の文化や歴史の知識もなく500年前の

名画を教科書の印刷で見ても何の感動もなく、

昔の人は写真がなかったので大変だったね、位の感想だった。

 

その30年後アムステルダムで本物の夜警を見て圧倒された。

この絵の巨大さ、目の前にするとそのドラマチックな構成に

しばらく見入ってしまう。

あの5年生だった私に見せたら

フランダースの犬のネロ少年がベラスケスを見た時みたいに

フラフラになっちゃうかもね。

 

そして人の思い込みで見え方が変わってしまうのは:

夜ではなく本当は昼なのに、夜警というタイトルは後付けの

通称であること。

レンブラントが自衛団からの発注をうけた肖像画で一人一人が

その通りの実在であること。

 

レンブラントの人生もドラマに満ちていて好ましい。

レンブラントの工房へ行って見たのは高価なモチーフの数々、天蓋付きの

美しいベット、工房の経営も上手く運営し繁盛していた様子。

レンブラントはアシスタントを抱える工房の経営者だったのだ。

 

それが僅かな食い違いとはずみで、転げ落ちるようにで暗転してしまう。

彼は工房を破産させてしまい、貧民街でひっそりと絵を描く人になった。

 

それでも晩年の彼の自画像は暖かく幸せそうな下町のオッサンに見えた。

絵を描くことだけは止めなかったのだから。

 

一人の大画家も山あり谷ありで折々の時期に表現方法も変わってくる。

画家がどんなストーリーを持つ作家なのか知ることも絵画鑑賞の

イマジネーションを高めてくれる。

 

だからレンブラントは私にとって好きな作品というよりも

愛すべき画家なのだ。



私たちの学校は西洋美術史のクラスあったね。

先生は高学歴・学位の真面目に熱心に教えてくださる人であるのに

関わらず、私らはいつもお茶らけてふざけたとらえ方してたよね。

 

表面的な冷たい笑顔はアルカイックスマイルとか、デブとみなしたら

ボッチチルェリとか、ジョルジョのことをラリッた2流芸能人とか、

今思えば言い得て妙というべきか。

 

先生も生徒たちに早く本物を目の前にして理解を深めてほしいと

願っていたはず。

でも時がたち、教えを受けた基礎知識が無意識に浸透しアートワーク

に対する推測の感性やその知識が役に立っている。

 

先生ありがとうございます。

お陰で美と調和に対する豊なものを味わうための基礎力が三つ子の魂として

まだここに。ピウプより。