片道書簡のラブレター

大切な人を思い浮かべながら手紙を書きます。

魔法のキッチン家電

お料理の上手な人は包丁さばきでよくわかる。きゅうりのスライスなんかは特にリズミカルに均等に切れる人。段取りも作業も同時進行的に手際よく料理の完成に向かっていく人。この安心感。十八番料理なんて言うのも持っているし、毎回同じように安定した一品を作ることのできる人。友達と持ち寄りパーティーなどするときは目新しくて面白い料理やお菓子を作ってきたりして盛り上げる。本人も料理が好きなのだろう。見栄えも味も間違いのないものが作れる。

私も触発されて何か作るぞ、と意気込むがレシピ通りにつくってもイマイチ。何故かというと、1.分量を量るのが適当。2.せっかちなので時間を短縮しようとする。3.代替材量を使おうとする。4.作っているうちに面倒くさくなってくる。こんなことなら出来上がったものを買って来ればよかった。という顛末になる。美味しいものが食べたいが完成までたどり着けない。料理は下手ではないが上手ではない。

そんな人間の為の魔法のキッチン家電を思い切って買ってみた。ホットクックというなんでも窯に切って投げ込んでおくとそれはそれは美味しいものができるという。私のような人間にピッタリではないか!ネーミングからしてほっといても出来ちゃう料理らしい。無線LAN機能があるので遠くから料理もできるって事らしい。明日から早速美味しいものを作ろう。

私の得意な料理は適当在庫処分料理。あるもので適当な料理を作るのが上手いと思うよ。即興料理なので高級とは言えないが。。ピウプより。

道理を通したいクレーム

ここのところ香港でコロナ隔離された夫の帰国便の再予約で神経をとがらせている。ANAとのやり取りは証明書の添付メールとと口頭での電話口でないと再予約できない。その電話っていうのがなかなか繋がらない。20分30分のオペレーター待機なら良いほうだ。ここ数日何度やり取りを繰り返したことか。。

コロナの各国水際対策の標準感覚は違っており、出国、入国時の各航空会社の感覚もまちまちである。香港政府の衛生局では形式的な隔離で厳重なものではないけれど抗体検査で陰性が2回続けば解放される。政府や領事さんの言うことには開放されれば証明書なしに帰国できると言う。今日は朝すぐに今日の日付けの隔離開放書類を添付メールをANAに送付した。メール後電話のオペレーターによるとANAの解釈は今日まで隔離されているという解釈で明日以降からでないと再予約できないと言う。夫は空港近くの隔離ホテルであったためANAのカウンターで交渉をしようと待機中。

一般的に考えて書類の日付までが拘束の効力という解釈はあまりにも杓子定規。先日からのやり取りの中でも証明書を証拠として取りたいというのは理解できるが、そこまで厳密すぎるのは現状からして度を越している。ここで引き下がってはいけない、と思い感情的にならないよう、今までのやり取りともう一度証明書の意義についてそして今日その日に解放されたからこそこの証明書を手に入れたのだからなぜ日付にこだわる必要があるのか今まで録音されてきたやり取りをよく読みなおしてほしいとクレーム10分ぐらい。ダメもとでも言わずにおけない事はすべて言い尽くした。理不尽なことを理不尽なまま自ら置いておくのは良くない。また上の判断ということで暫く待つと、本日便で予約することができた。面倒くさい客をいつまでも相手しているとタイムパフォーマンスが悪いのか、もしくは道理が通ったのかどうか分からないが…

シャルルドゴール空港

日本企業の対応は一本調子というか、想像力の欠如というか、責任回避というか、状況現状にフィットした対応ができないことが多い。型にピッタリとはまらないと正解としないのは止めてほしいよ。ピウプより。

ヨガのレッスンノート2

昨日のヨガレッスンは70%ぐらいの出力にとどめた。インストラクターの前だと一生懸命やらないといけないかな~という真面目な精神というのがでちゃったり、良いところみせて褒めてもらおう精神になってしまうので後ろのほうでコッソリとレッスンを受ける。生徒たちはどちらかというと控え目で先生の前を選ばないので最後に来る人が前のほうに場所をとることになるのだけれど昨日に限っては最後に来た私が後ろのスペースに場所をとることになった。いつものペースだと汗がたらたらなのだが、昨日は全然汗がでなかった。やはり70%というのは身体が楽なのだ。こんな感じで取り組むのもいいかな、とたまに自分を緩ませる。力を入れすぎると遊びがなくなる。100%出力すると余裕がなくなる。余裕とはスペースで何か緩衝してくれるクッションのようなもの。そのくらいのところで体を動かすと力を入れるべきところと力を抜くべきところの区別が、メリハリが気付けるように感じた昨日のレッスン。

頑張っちゃうことで見えなくなることがある。頑張らないことで気づけることもある。ピウプより。

豚足とスンデ

豚足とスンデ。韓国で食べたい美味しいものはとても庶民的で体にも美容にも良い。豚足はお肉の部分と厚手の皮の部分のバランスがよく、パリッとして黄金色の茶色そんな色からして食欲をそそる。日本で食べる豚足は皮がゼラチン質にドロッとしていて少し煮込み過ぎに見えるし皮がメインでお肉はあまり主張できていないようだ。

豚足専門店の集まる地域は大きな鍋で大量の豚足を出刃包丁で、とんつくとんつく、さばいていく。湯気を上げて出来立て感満載。とっても絵になる風景でもある。イートインなら大量の葉っぱが出てきたり、例によりキムチやらその他の小皿おかずがやってくる。葉っぱやトウガラシで豚足を包んでお口にポイっと放り込む。そのまま酒のつまみでもよし、ごはんも包んで食事にしてもよし。

スンデは血のソーセージと言われる詰め物。思っているほど癖のある味ではなく、もち米や春雨の入った優しいマイルドな味。血で作っているので体にはとても良い。こんなお惣菜屋さんが近くにあったらな、と思う。

韓国のお料理はシンプルに見えて意外と手が込んでいる。私の好きな葉っぱはえごまの葉っぱ。ピウプより。

エリザベス女王のお仕事

ネットフリックスのドラマを見だすと止まらなくなる。時間を浪費しているような気もするし、リラックスできるような気もするし。中毒性もあるので注意しようと思っている。ザ・クラウンというドラマを見た。エリザベス女王を中心とした、即位された時から香港返還までの長いドラマ。ロイヤルスキャンダルはその間数多く、フィクションともノンフィクションともつかぬ実在の人物の内容なのでこのドラマを作るにあたって圧力はなかったのだろうか?

それにしてもロイヤルファミリーの身の回り事がこと細かくドラマ化されている。撮影もどこかのお城を借りたのだろうか、女王の面会室、寝室、書斎、家具やテーブルセット、リネン類、そして衣装などはまるでバッキンガム宮殿を使用しているようなリアリティー。(っても宮殿にはいったことないのでわからないけれど、ヴィスコンティの山猫よりすごいセットだと思う。)それだけでも見入ってしまうし、一見の価値があると思う。

その時代時代に女王と共に過ごす印象の強い政治家たち、例えばチャーチルとかサッチャーとかはかなり似せている俳優。一番ネックになっているのはプリンセス・ダイアナ。この方が似ていないとかなり物語に集中できないだろう。

それにしても王族であれ、貴族であれ家族の問題というのは普遍的なものなのだなと思った。ロイヤルファミリーという仕事でもあるからそのかじ取りは大変だろう。エリザベス女王も生涯大変なご苦労続きだったろうけれど、それでもお仕事が生きがいだったのかもしれない。

JFKも出てくる

何もないけれど気楽に生きていけるのは幸せなこと。しがらみが多すぎると疲れちゃうからね、ピウプより。

可能性を探す

会社を退いたあと、人と話す機会が愕然と減った。よくサラリーマン退職後の孤立について語られることがあるが、正にその通りになった。働いていた時は零細企業経営者であったので責任や心配事はてんこ盛り、介護に家族と目一杯だった。会社の外では会社の取引先とか同業他社の勉強会とか、仕事枠のお付き合い。利害関係の介在したお付き合いなので友人と言えるのかどうか。趣味の集まりとかボランティアとかそういった繋がりを作る精神的・時間の余裕が全くなかった。

今は一から自分を作り直そうと思っている。身体、考え方、思い癖、食習慣、なかなか自分の癖をリフォームするのは大変だ。それでもフーンこんな事もできるんだ、と気づくことがある。人間の可能性を考えると年を食っても出来ることがある。いや年を食ったからこそ出来ることもある。勇気を出して行動に起こすこと実験してみることでお得な自分を発見できるかもしれない。もともと友達作りは下手だ、と思い込んでいるのがもしれない。今更と言わず今からお友達を作ろう。いろんな所に顔を出して誰かに話しかけよう。図々しくお話の練習をお友達づくりの練習をさせて頂こう。

今日会う人とはどんな話をしようかと考えるとわくわくしてくる。人に会うことで、話すことで閉じられていた窓が開くときがある。ピウプより。

 

腸腰筋

NHKの明鏡止水KAMIWAZAという番組を見た。武道家3名が紹介されて各々の武術の体の動きと使い方について実戦を見ながら、解説をしていくもので驚くことばかりだった。私も日々体の動かし方をリハビリレベルで訓練をしているので、コアな筋肉いわゆるインナーマッスルが肝心であることは理解はできる。それにしても武道家の一人は驚異のインナーマッスルで現代人が衰え易いといわれている腸腰筋がもりもりと発達していた。まさにミケランジェロの彫刻像のダビデや戦士のマルス像などにある腰骨から恥骨方面にできるあの筋肉。画学生の頃デッサンしていた時は普通こんなのある?っていう感じの筋肉だったが、戦うためには必須の筋肉なのだった。

体を動かすということは頭で理解すると同時に、考えなくても無意識に体が自動化すること、自動化するまで鍛錬を積むこと。とても興味深く、今の私にとってムクムクやる気が湧いてくる番組であった。武道を学びたいというよりも、体を動かすのに最上の最適値を知ること、その考え方、同時にそれが心も整えられることに引き付けられるのだ。

体を作ることは脳細胞にも刺激を与えられるらしい。ほんとかどうか今実験中。ピウプより。